ローラ・アシュレイの住むウェールズは製鉄工場や工員たちの住宅が並ぶ街はきれいとはいえなかったようです。
ただ、その中で、19世紀後半に建てられたゴシック様式の教会だけは美しく、ヴィクトリア時代のスタイルを愛したローラ・アシュレイには象徴的な存在だったようです。
ローラ・アシュレイの子供時代は、弟や妹の誕生で、両親にかまってもらえず、草や可憐な花の繁みでほっとする一人遊びの生活を送ったようです。
また、ローラ・アシュレイの弟は病弱だった関係で叔母さんが手伝いに来ていました。
ローラ・アシュレイは、叔母さんが大きな影響を受けました。
叔母さんは、素敵な本やリバティのドレスを見せてくれたり、上等の茶器でお茶を入れ、子供のローラ・アシュレイをもてなしてくれたのです。
ローラ・アシュレイは、よりヴィクトリア朝のエレガントで伝統的な生活に強い憧れをもったようです。
ローラ・アシュレイは、1949年バーナード・アシュレイとベディトンパークの教会で結婚式を挙げます。
そして、主婦として家事を切り盛りしていたある日、勤め先の都合でヴィクトリア・アルバート博物館へパッチワークの出品の話が持ち上がりました。
しかし、出品をしようにもローラ・アシュレイが思うようなパッチワーク用の布地はありませんでした。
そこで、ローラ・アシュレイは図書館で研究しました。
機会好きの夫の協力もあり、ローラ・アシュレイは自分で生地をデザインしプリントを完成させました。
この自宅の屋根裏部屋で作り出した作品が、ブランドのローラ・アシュレイの始まりです。
ちょうどこの時、オードリー・ヘプバーンが『ローマの休日』で世界中を魅了していました。
この映画中でヘプバーンが頭につけていた三角のスカーフは英国で大流行しましたが、ローラ・アシュレイは同じようなヘッドスカーフを作り販売し始めたのが大ヒットとなり、ローラ・アシュレイは押しも押されもせぬ大ブランドへと成長していったのです。
ローラ・アシュレイは4人の子供をもつ主婦として家庭を守りながら、世界中にファンを持つデザイナーになったのでした。
憧れのヴィクトリアの世界や素朴で、清楚で、自然なものをあふれ出るアイデアでデザインをしつづけたローラ・アシュレイは、1985年に不良の事故で亡くなりました。
60歳というまだまだ働き盛りの年齢でした。
しかし、ローラ・アシュレイの夢と主張は子供たちや残されたスタッフに確実に受け継がれて、ブランドのローラ・アシュレイは今も多くの女性を魅了し続けています。
サル・ドゥ・セジュールTAKAOKA
〒933-0872
富山県高岡市芳野1
貸衣裳,着物レンタル,子供服レンタル,フォーマルウェア,ブライダル衣裳レンタル,ブライダルプロデュース,レンタルブティック
0766-24-5477
熊谷質店
〒970-8026
福島県いわき市平字五町目1
質屋
0246-25-2278
レインボーファクトリー飯塚店
〒820-0053
福岡県飯塚市伊岐須642-1
リサイクルショップ
0948-26-4565
| 人気ブランドについて |